生きづらさを感じてた幼少期

うつ病との日々
この記事を書いた人

なぎ
イラストレーター。
イラストのお仕事や、デザイン関係のお仕事をしています。
ブログでは、主にイラストの描き方・うつ病の実体験を発信中。

私は、子供の頃から『生きづらさ』を感じていました。
なぜそんなに生きづらさを感じていたのか?
当時の気持ちを振り返りながら、大人になった今感じたことを綴っていきます。

幼少期の生活環境

私は自営業をしている父と、その会社で経理関係をしていた母の間に生まれました。
父は朝早くから仕事に行き、母は仕事と家事と育児にと忙しく、
妹も3人いるので中々わがままが言えない状況にありました。

忘れ物が多かったり、嫌なことを後回しにするくせがあって問題が起きてしまったり、
友人関係での悩みなんかもありましたが、誰にも相談はできませんでした

注意欠陥優勢型ADHD

私は「注意欠陥優勢型ADHD」です。
ただ、注意欠陥ADHDという診断が降りたのは大人になってからなので、子どもの頃は「何でこんなに周りの子達と違うんだろう?」と悩んでいました。

幼少期の私が悩んでいたこと

  • 忘れ物が多い
  • すぐものをなくす
  • 嫌なことを後回しにする
  • やらなければならない事をやり遂げられない
  • 喋りすぎる

注意欠陥優勢型ADHDでも人によってかなり違いがありますが、私の場合はこうでした。

保育園時代には気にならなかったADHDの特性が、学校に行きだしてから次々に生きづらさを感じる出来事が出てきました。

小学生時代には不登校に

宿題をやり忘れたり、宿題をやってもランドセルにしまうのを忘れて結局提出できなかったりしました。

複数人の友達と話してると話しすぎてしまったり、逆にどのタイミングで話したらいいのかわからなかったり、友達とどう関わったらいいのかわからないというような出来事が多々ありました。

そういった生きづらさからうつ症状も出てしまい、小学生の時には不登校になった時期もありました。

「何で自分は人と違うんだろう?」
「何で普通のことができないんだろう?」
「何で周りの子達と上手にかかわれないんだろう?」

毎日毎日、学校から帰ってきては自分のその日の行いを振り返って、
「あの時ああ言ったのは間違いだったかも」とか「あんな風に接したら嫌われちゃったかも」と答えの出ない事ばかり考えて、後悔ばかりしていました。

頑張って学校へ行っては少し休んで、また頑張って学校へ行っての繰り返し。
母親には「またズル休みをして!」と怒られ、誰にも理解してもらえないという状況で、家と学校以外に居場所のなかった私には逃げ道がありませんでした。

なぎ
なぎ

私って、何のために生きてるのかなぁ

終いにはそんな風に思ってしまうまで、自分で自分を追い詰めてしまっていました。

ネットとの出会い

そんな中、私の中で新しい居場所ができました。

ネットの世界です。

小学校5年生の時に、PCを買ってもらいました。

「今からの時代はPCできないと!」

私は特にPCが欲しいとは思ってはいなかったんですが、半ば押し付けられるようにPCを買い与えられました。

なぎ
なぎ

私が欲しい物は買ってくれないけど、母が私にやらせたい物は押し付けてくるんだなぁ。

と思いながら、私の部屋に置かれたPCに不満さえ抱いていました。

ですが!

PCをネットに繋いで、暇つぶしにネットを見ていたら、家にいながらたくさんの人の考えに触れることができ、同じ年くらいの絵描きさん達と仲良くなれたんです!

私の中で、一気に世界が変わった瞬間でした。

SNSとの出会い

SNSで仲のいい友達に「頑張って学校に行ってくる!」「またイラストアップしよう!」と言い合って実行する、というルーティーンができました!

紙に絵を描いて、それをスキャナで取り込んで、PCで色を塗って、という工程でお絵描きを楽しんでいました。

イラストを上手に描きたくてお年玉を貯めてペンタブレットとイラストソフトを買って、それをネットにアップしてたくさん感想をもらえることに喜びを感じていました。

現実の世界が辛くても、ネットの友達がいれば頑張れる。
私はやっと、自分の居場所を見つけることができました。

ネットで見つけた「救われた言葉」

それと同時に、ネットの世界でかなり私の心に響いた言葉がありました。

「人生は、寿命までの暇つぶし」

という言葉です。
この言葉を良いと思う方もいれば、よく思わない方もいると思います。

でも当時の私にとってはとても気が楽になる言葉でした。
言葉も本も音楽も、出会うタイミングが重要で、当時生きてる理由もわからず辛い思いをしていた私にとっては、「もっと肩の力を抜いて生きて良いんだ」という風に解釈をしました。

私は心のどこかで「真面目でなければいけない」「誠実でなければいけない」「怠けてはいけない」と言ったような縛りを勝手に作っていて、自分で自分を苦しめていました。

そんな状態の私にとっては、救いの言葉でした。

今、振り返って思うこと

子どもの頃に自分が不注意欠陥型ADHDだとわかっていれば、専門の機関の力を借りて特性に対して対策をしたりして上手く生きていく工夫ができたと思うのですが、自分自身も気付かないまま、家族にも気付かれないままでした。

もし、この記事を読んで「生きづらさ」を感じている方がいたら、ADHDやASDやHSPなど検索してみてほしいと思います。

早く自分の特性がわかれば、「生きづらさ」を減らす対策ができるかもしれません。
小さい頃の私のように辛い思いをしている方の助けになれたらいいなと思っています。

なので、これからも私のうつ病やADHDなどについて順を追ってお話していきたいと思っているので、よろしくお願いします!

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